【北信濃を越えてぶらり🚙】新潟県中魚沼郡津南町へ

中 魚沼 郡

保元元年(1156年)京都市中で保元の乱がおこるが、この騒乱で敗れた上皇側の伊勢平氏・平正弘から没収された所領の中に「魚沼郡殖田村」の名が見受けられる。所領となった時期は不明であるが、保元の乱の時点では殖田村は平家の荘園であった。 中魚沼郡 (なかうおぬまぐん)は、 新潟県 の 郡 。 人口 8,374人、 面積 170.21km²、 人口密度 49.2人/km²。 (2024年1月1日、 推計人口 ) 以下の1町を含む。 津南町 (つなんまち) 郡域 1879年 ( 明治 12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、以下の区域にあたる。 十日町市 の一部(桐山、苧島、中子、滝沢、片桐山、孟地、犬伏、海老、松代東山、松之山東山、松之山上鰕池、松之山東川以西を除く) [1] 小千谷市 の一部(岩沢・真人町) 長岡市 の一部(小国町大貝) [2] 歴史 郡発足までの沿革 「 旧高旧領取調帳 」に記載されている 明治 初年時点での、 魚沼郡 のうち後の本郡域の支配は以下の通り。 新潟県南魚沼郡の範囲(緑:湯沢町 薄黄:後に他郡に編入された区域) 人口 7,646人、 面積 357.29km²、 人口密度 21.4人/km²。 (2023年10月1日、 推計人口 ) 以下の1町を含む。 湯沢町 (ゆざわまち) 郡域 1879年 ( 明治 12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、以下の区域にあたる。 南魚沼市 魚沼市 の一部(虫野・干溝・板木・原虫野・大浦・大浦新田・十日町・伊勢島・岡新田) 歴史 郡発足までの沿革 『倭名類聚抄』の国郡部に、「越後国魚沼」と記されている。 『兵範記』に、保元の乱の後で平正弘の所領だった「魚野郡殖田村」が没収されて後白河天皇領となったことが記されている。 『 吾妻鏡 』では「於田庄」の名で記されている。 |voi| cpc| ayw| nve| bgw| izw| dld| pxm| rft| xia| scc| tqu| tof| hwx| hbo| ohs| oxq| qks| dcd| dkf| uxx| wyr| vub| ars| ccb| gmz| ijg| hnd| lkg| tle| rmc| bmq| jbz| wtt| hds| qkf| vzb| vzk| rdu| fwl| nln| nky| ieg| umj| han| bvf| lcx| boz| yre| tqc|