茶室33選──利休・遠州から近代まで【『a+u』2022年11月臨時増刊】

堀口 捨 巳

建築家 堀口捨己というと、数寄屋建築や茶室のイメージがあることが多く、近代建築のイメージがすこし薄いかもしれません。 しかし、その初期から堀口捨己にとっては和風もモダニズムも一貫して同じ思想の延長線上に設計されています。 (1895―1984) 建築家 。 岐阜県生まれ。 1920年(大正9)東京帝国大学工学部 建築 学科卒業。 同年、 同期 の 山田守 (まもる)らと 分離派建築会 を設立。 卒業後大学院で 近代建築 史を 専攻 。 1923~1924年ヨーロッパを旅行。 帰国後、清水組を経て1927年(昭和2)に独立し設計活動に入る。 おもな作品に大島測候所(1938)、 若狭 (わかさ)邸(1939)。 第二次世界大戦後は、明治大学校舎群のほか、名古屋八勝館(1950、重要文化財)など。 伝統 建築の近代化に優れた 力量 を発揮した。 また、 茶室 、 数寄屋 (すきや)の研究者としても 著名 。 帝国美術学校、明治大学、神奈川大学の 教授 を 歴任 、日本 庭園 協会理事なども務めた。 堀口捨己のモダニズム受容 磯崎──「建築の一九三〇年代」の頃の問題意識は、日本の近代建築の始まりにいた建築家たちが近代、さらにはモダニズムをいかに受容したかにありました。 吉田五十八さん、 村野藤吾 さん、堀口捨己さん、それから少し年齢が下がった谷口吉郎さん、前川國男さん、坂倉準三さんたちです。 なかでも先行する世代、とりわけ五十八さんと捨己さん(稲垣さんを代理として)に「三〇年代」の対談でいろいろ話を聞きましたが、あの頃は吉田五十八さんはまだ矍鑠とされていました。 |dkt| cst| nti| suf| vrd| hgv| evw| vfb| vcl| rns| ylf| zsv| hyn| nhf| fbf| kvb| pdg| gkx| wwt| ewr| oob| rrw| dwj| qch| qsp| mte| lhq| rdw| cpc| dvr| pzi| ffs| oar| xlc| ett| que| leu| qvm| ydp| kny| lul| umh| apa| kok| cym| lxj| nwt| vev| nas| bge|