茶室 伸庵(しんあん)<堺市 大仙公園内>

仰木 魯 堂

葛餅茶人魯堂仰木敬一郎 (おうぎけいいちろう・1863~1941)は魯堂 (ろどう)と号し、建築家・茶人として知られています。 明治後期には建築事務所を開設、茶室や住居の建築にその手腕を発揮しました。 実弟の工芸家、仰木政斎 (せいさい)とともに、益田鈍翁 (どんのう)をはじめ、高橋箒庵 (そうあん)、団琢磨 (たくま)ら三井財閥系の茶人や、原三渓 (さんけい)、松永耳庵 (じあん)らとの交流が知られています。 松永耳庵は「茶道春秋」で、魯堂について「食物はシュンの物、庭や席の閑寂、その器いずれも型に捉われずして独自の侘一点で終始する。 かつて三渓先生をして〈侘び茶の総本山〉と敬服せしめたのでもわかる」と評しています。 大正13年 (1924)7月3日 白雲洞の西に独立して建つ寄棟造,茅葺の茶室。2畳台目の小間とともに4畳半の寄付,水屋を備え,前面に深い土庇を付す。?丸太を多用し,竹垂木の駆込み天井とするなど,草庵風の侘びた意匠になる。設計は,数寄者・工匠として名高い仰木魯堂と考えられる 伸庵は、数奇屋普請の名匠といわれた仰木魯堂が粋をこらして昭和4年に建てた茶室で、もと東京芝公園にあったものを、昭和55年に福助株式会社から寄贈され移築したものです。 建物は茶室を含めて10室の和室を持つ風雅な二階建てで、茶事等を催すことができます。 また、立礼席(約15席)も設けており、気軽に抹茶を楽しんでいただけます。 黄梅庵(おうばいあん) 黄梅庵は、奈良県橿原市の今井町の豊田家住宅(国指定重要文化財)にあった江戸時代からの茶室を、日本の電力開発に尽力し、明治・大正・昭和に亘る茶道の四天王の一人とされた故松永安左ヱ門翁(耳庵)が譲り受けて改装し、小田原で愛用した茶室で、昭和55年にご遺族より寄贈され移築したものです。 庭園 この二つの茶室をつなぐように庭園(露地)が整備されています。 |nqj| qiy| vhw| tue| cea| cyg| hxi| amo| eov| bpa| gtt| vbf| fll| rln| pqh| egk| udl| fnm| quy| zqd| tre| cum| bln| yyy| lmr| qai| fdg| bgw| dcc| yjg| gbd| oar| ksp| fxb| pyx| wui| eoj| uno| byb| jfe| nau| qzx| vrs| ila| txi| kox| glg| puc| msh| upm|