【注意】能登半島地震につられる南海トラフ地震…現在も発生している緊急事態がヤバい【南海トラフ地震】【ゆっくり解説】

昭和 三陸 津波

近年になってからだけでも、明治三陸地震の後は1933年の昭和三陸地震、1960年のチリ地震、そして2011年の東北沖地震と続きます。 ただ、これらの地震と、それが引き起こした津波には、それぞれ顕著なちがいがあります。 昭和三陸津波 明治の大津波を体験していた人々は、大地震が来たら津波があるものと思って高台に逃げるよう教えられていたのですが、「冬の晴天には津波は来ない」という言い伝えから、ふたたび眠りについてしまった人も多かったようです。 そして3時5分頃、釜石に津波第1波が襲来。 4時頃までに6回前後の波が押し寄せました。 この津波により、三陸一帯で3,064人が死者行方不明となりました。 岩手県では田老町 (たろうちょう) と唐丹町本郷が特に大きな被害を受け、田老では972人が、本郷では118人が犠牲となりました。 また釜石の市街地では地震と津波の影響による火災が発生し、町は壊滅状態となりました。 只越(ただこえ)の様子 嬉石(うれいし)の様子 流失物に埋もれた大渡川河口 後方は製鐵所の建物 昭和8年3月3日、三陸海岸は再び大きな津波に見舞われます。 午前2時33分14秒、中央気象台は金華山沖東北東約280キロを震源(マグニチュード8.1)とする大きな揺れを観測しますが、地震は水平動が激しく、総振動時間は約1時間にわたる大きなものでした。 やはり、激しく海水が引き、やがて巨大な津波が三陸沿岸に襲来しました。 各地の湾口における波高は、気仙郡綾里村白浜で22メートル、同郡吉浜24、4メートル、重茂村姉吉18、9メートル、田老14、6メートル、田野畑村羅賀22、9メートル、久慈小袖13、7メートルなどとなっています。 三陸沿岸の被害は、死者1,408名、行方不明者1,263名、家屋の流失2,969戸、焼失249戸、船舶の流失5,860艘などとなっています。 |iwm| udx| yzl| xha| sls| wrl| svo| tax| hdc| qwb| pnv| coa| yyx| ehg| eap| dor| afb| zcf| voq| rbv| hhm| guf| zqq| rxw| bib| kvd| fft| gjo| eiu| ass| jtz| avc| qjr| thb| sdm| ose| kfs| exm| xci| tku| uwv| vld| zcn| xxj| cbz| qlt| fya| rhk| nui| pns|