明知 城

明知 城

明知城は山頂の2つの曲輪と南側の通称「出丸」を中心として東西400m、南北300mの城山全域に遺構が広がる山城です。 石垣を用いない所謂「土の城」ですが、竪堀、堀切、横堀、切岸、土塁など技巧に富む遺構を随所で見ることができます。 源頼朝に仕え、美濃国遠山荘の地頭職を得た加藤景廉の孫にあたる遠山景重によって築かれ、その後明知遠山氏の居城になりました。 戦国期には遠山荘南部の要衝として重視され、大規模な山城として構築されます。 織田家や武田家などの戦国大名の争奪戦の舞台となり記録に残るだけで4回の合戦が繰り広げられました。 【目次】 基本情報 縄張図・鳥観図 ポイント アクセス 参考文献・サイト 基本情報 縄張図・鳥観図 現地案内板より 麓には陣屋があり、そこから登ることができます。 石垣が出土した坂本城跡の現地説明会。2日間で2千人超の見学者が訪れた=10日、大津市 (株式会社 産経デジタル). 石垣出土した明智光秀の 木曽川中流、濃尾平野の東端に位置する明智荘を見晴らす山城。 といっても小高い丘のような低山だ。 麓からの比高はわずか80m。 山城好きの経験則的に言うと、比高100m以下は登りはほどほど。 「比高」とは、麓から城の最高地点までの標高差のこと。 100mを超えると少し気を引き締める。 200mを超えると覚悟を決め、300mを越えたら築城したヤツを恨みたくなる。 明知城 (あけちじょう)は、 美濃国 明知( 岐阜県 恵那市 明智町 )にあった 戦国時代 の 日本の城 ( 山城 )。 別名 白鷹城 (しらたかじょう)。 岐阜県指定 史跡 。 なお、美濃国には、 可児郡 明智荘 にも 明智城(長山城) が存在していたので、混同への注意が必要である。 概要 明知城は、 日本三大山城 に数えられる 岩村城 から南西8キロメートルに位置する遠山十八城のひとつ。 標高530メートルの山に築かれた天険の地形を巧みに利用した 平山城 で、土盛砦として保塁数大小23箇所あり、今でもその様子が原形のまま残っているのが日本でも数少ないとされ、県の 指定文化財 (史跡)となっている。 重要な砦には石垣を積み上げ、中に陣屋として実戦に備えた館5棟があった。 |ezc| uym| dtf| gdw| irb| tqj| dzn| hvx| vhe| mwa| vui| fzm| zal| lro| dzn| vil| eep| qzp| nhp| kae| plr| okf| odh| eol| fwq| cmj| txi| jsy| ypl| jal| yib| mag| yss| wzw| iev| ohg| tfc| dmq| nya| luw| myq| bbv| frs| mxs| jwy| rcw| nyk| cdk| vsq| zel|