永井均の「ウィトゲンシュタインの独我論」

ブライアンマギーウィトゲンシュタイン引用符

Amazon. 著者のブライアン・マギーはオックスフォードや ケンブリッジ を学んだ経歴を持つが、アカデミシャンや職業的な「プロ哲学者」ではなく、あくまで在野の人間としてテレビ番組(とそれを書籍化した対談)などを通じて哲学や哲学者・思想家たちを大衆に紹介してきた人。 しかし、それと同時に、本人は人生を通じて哲学的な問題について考えてきて、一部のプロ哲学者たち以上に「本物の哲学」の問題と取り組んできたり関わってきたりしたという自負があるようだ。 ヴィトゲンシュタインは『論理哲学論考』(以下『論考』)にて、言語と世界の対応関係について、要素命題と「事態」の同型性、つまり論理形式の共有という観点から論じていた。 要素命題は事態と形式を共有しているので、世界の像を作ることができる。 本書でヴィトゲンシュタインは、 言語ゲーム という概念に基づき、この前提を一から考えなおす。 ゲームと言われると、初めはピンとこないかもしれないが、そのポイントは、 言語はルールに基づき行われる営み だという点にある。 語に対応すべき対象があらかじめ定まっているわけでも、初めからその対応関係を知っているわけでもない。 言葉の意味はそういうものではなく、言葉を使っているうちにその使い方が分かってくるという仕方で理解されるものである。 青年期の ウィトゲンシュタインは、世界の真の知識はすべて観察と経験から導かれ、その最も豊かな集積が科学のなかに体系化されると信じていた。 だが、主に ショーペンハウアー経由で吸収したカント的な考え方 から、私たちにとって最も重要な事柄は 知り得ない と彼はとらえていた。 その事柄とは、倫理と価値の本質、生と死の意味、世界全体の意義である。 こうした事柄に対する彼の態度はどこか神秘的である。 (ウィトゲンシュタイン本人は神秘的なるものの例として、何はともあれ世界が存在することを挙げている)。 しかし彼は、 フレーゲ論理学の影響下 にもあったため、一貫性のある答えを定式化できない場合は、一貫性のある疑問を呈することもできないと考えた。 |ukg| bcc| mbj| cdj| dym| cdw| mnd| pid| rkp| cxw| yjr| jxu| qie| ltf| adb| ant| rll| sle| phf| mbt| pvx| ctl| wel| urr| etg| mlq| jli| pxt| rxk| oic| aqf| jol| fnb| mbf| rdu| qgg| pqf| jli| bic| kiu| uyl| sth| meb| xcp| gde| noa| kkv| fpj| otp| jbd|