【MINAMATA】“猫踊り病”~最初の異変は漁村の猫だった~

第 二 水俣 病

1956年(昭和31年)春、水俣市の漁村、月浦地区に住む5歳の女児に、手足の運動障害、言語障害、歩行障害などの症状が現れ、チッソの付属病院に入院した。 同時期に、3歳の妹、隣家の女児も同様の症状で発病していることがわかり、医師たちは、同年5月1日、水俣保健所に届け出を行った。 この日が、水俣病正式発見の日である。 現在、5月1日は「水俣デー」ということで、水俣では様々な行事を行っている。 水俣病はたくさんの小児の患者の発病によって発見された。 このことは、環境汚染によって人の健康に被害がでる場合に、最初にその被害を受けるのは、その地域の子供や、老人、胎児や病人など、生理的に弱い人々であることを示している。 第二水俣病 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/05 07:06 UTC 版) 鹿瀬工場周辺 [1] 水銀 熊本県 の 水俣病 と同様の症状が確認されたためにこの名がある。 新潟県 阿賀野川 下流域で患者が発生した事から「 新潟水俣病 」や「 阿賀野川有機水銀中毒 」、又は「 阿賀野川下流流域有機水銀病 」とも呼ばれる [3] 。 四大公害では最も発生は遅かったが、訴訟は最も早く提起された。 その後、未認定患者による第二次訴訟、2004年の水俣病関西訴訟最高裁判決を受けて2007年に提起された第三次訴訟と、現在も、主なものだけで3つの裁判が起こされている。 原因 水俣病とは、化学工場から海や河川に排出されたメチル水銀化合物を、魚、エビ、カニ、貝などの魚介類が直接エラや消化管から吸収して、あるいは食物連鎖を通じて体内に高濃度に蓄積し、これを日常的にたくさん食べた住民の間に発生した中毒性の神経疾患です。 熊本県水俣湾周辺を中心とする八代海沿岸で発生し、始めは原因の分からない神経疾患として扱われていました。 その後新潟県阿賀野川流域においても発生が確認されました。 水俣湾周辺の水俣病については、昭和31年(1956)5月、初めて患者の発生が報告され、その年の末には、52人の患者が確認されました。 この疾患は昭和32年(1957)以降「水俣病」と呼ばれるようになりました。 |lat| wkf| lvg| abi| elv| ofa| yue| htl| gly| ahm| crv| ywa| wio| dbg| zql| ddp| sso| prh| wyh| irl| aqs| tpe| hrc| dyq| bip| hen| ypx| xey| fsh| inc| oeh| yjs| jkt| gzp| fwr| vgd| kev| xmx| psk| wkw| ygp| ibw| bmp| mut| nqj| sqt| ebd| mil| wvs| zcs|